わかりやすさの弊害

先日の「科学技術インタープリター養成プログラムのシンポジウム」の内容から、一つ掘り下げて、「わかりやすさ」について。以前に紹介した「わかったつもり」なんか、ある程度参考になるかも?

「分かる」とは

まず、ちょっと日本語的な問題から。特に科学技術関連において、「分かる」とは、筋道を理解すること、あるいは内容・真理を明らかにすること、などの意味で用いられます。読んだ内容、他人の話などを聞いて、その内容を承知する、あるいは受け入れるといった場合は、「納得する」という語の方が近いです。

なぜいきなりこんな話から入ったかというと、科学者のいう「分かる(前者)」と一般市民を含めたその他大勢の「分かる(後者=納得する)」が指す言葉にズレがあることが多々あるからです。技術を伝えたりする上で、単純に「分かりましたか?」という質問をしても、そもそも「分かる」を勘違いしているとコミュニケーションが上手くいきません(汗)

「分かりやすい」とは

文字通り、容易に分かる、ということですが…果たしてこの「分かる」、前者と後者どっちでしょう。

  1. 前者の場合
  2. 「A=B、B=CならA=Cである」これは容易に「筋道を理解」できますよね。これが前者の「分かる」における「わかりやすさ」でしょう。

  3. 後者の場合
  4. 「容易に納得できる」=「筋道は理解できなくても、容易に承認・承諾・受け入れてもらえる」。・・・これ具体例出すのがきついんですが、いわゆるトンデモ科学なんかはこちらですな。

前者は「そもそも扱っている問題が用意」。後者は、「扱っている問題自体は複雑で、それをいかに削り落として、簡単に伝えるか」。こんな違いが見えてくると思います。

ここで問題になるのは後者。真理を理解せず、簡単にした話は、確かに受け入れやすいです。ただ、分かった(と思っている)当事者は、その曖昧な理解のまま伝達したりしていきます。一方で専門家が真理を話そうとしていても、「深く考えずとも、すんなり頭に入ってくる(誤った)説明」が浸透しやすくなってしまうのは事実です。

そして、誤った論が一人歩きを初め、その理論を元に製品化されたり、製薬会社が薬を開発したり・・・と、歯止めがきかなくなってきます。鬱病患者に対する薬などでは、この「誤った分かりやすい論」を元にしたがために、副作用が発生してしまった例もあるようです。

手短に書きましたが、以上が「わかりやすさ」の生む弊害のお話。

利点はないの?

このままでは暗い話で終わってしまいます。じゃあ、「わかりやすさ」に利点はないのか。ここから先はシンポジウムで聞いた話ではありませんのでご了承を。

個人的に、利点は「ある」と思います。それは、「簡単なモデルや具体化を行って受け入れてもらうことで、その分野に興味関心を持ってもらうこと。

もちろん簡略化をやりすぎてしまっては嘘を教えてしまうことになるから注意は必要です。それに、説明する当事者が、「この論は正確ではありませんが、分かりやすくするために・・・」とか、「より正しい、詳しい話は本を読んで下さい。これはあくまでイントロ的、興味を持ってもらうために面白おかしく話しています」など、前ふりをしておく必要は当然あります。こんな事しても、TVとか本だとカットされそうですけどね~(苦笑)

けれど、そういった前提が整った上でなら、このような話をするのもアリだとは思います。極端な話、小学生に原子力とか宇宙論の話を事細かにしたって飽きるのが大半です。それで色々突っ込んでくれたら、素質ありまくりでしょうけど(笑)

結局の所、話を聞く側も伝える側も、しっかりとした心構えは必要…という所になってきます。この辺、責任の所在に関する話と合わせて質問してみたんですが、「難しいところですよね~」というお話になってしまったので^^;

まあ、こんな話もたまにしていきますので。できるだけ本の紹介と併せていきますが(笑)

おまけ

今日は長々とありがとうございました。最後に、完全な余談を。

とうとうアイデアマラソン数が1000越えました♪

・・・話の内容、ギャップありすぎだなorz