リコウの壁とバカの壁
リコウの壁とバカの壁 ローヤー木村 本の雑誌社 2004-02 |
養老さんの「バカの壁」の解説書+α的な本。
「一元論にはまって抜け出せなくなる」というバカの壁のほかに、
「共通理解を得ようとする」リコウの壁にぶち当たっている人もいる、として、
まずはそのリコウの壁から壊していくことが大切、と説いています。
そして、バカの壁は、リコウの壁を崩した人が多数派を占めることによって、
自然に解消される、としています。
確かに、共通理解を得られるはず、と考えている人が存在することは
正しいと思います。けれど、ここで一つの疑問が。それは、その人たちが本当に
「多数派」であり、バカの壁を持っている人が「少数派」なのだろうか、ということです。
共通理解によって、お互いの誤認識を解消できることも、もちろんあるでしょう。
けれど、そうとは言えない事例もあります。
先日、某IT関係の会社から来た人が講義をしてくださったのですが、
企業間での認識の違いがかなり多いことを話していました。
これは、業務を委託する企業側で、ITについて理解していない(しようとしていない)
事を暗に示しているようにも思えました。
自分に少しでも興味がある分野でなら、理解しようと言う気持ちもわいてくるだろうけど、
例えば押し付けられた仕事など、自分にとってまったく興味がない分野に関しては、
理解しようという気が起きない事もあるのではないでしょうか?
先入観などが優先されてしまい、気持ちを変えようと思ってもなかなか事は、
たとえ興味深い分野であったとしてもよくあることです。(自分の例で言えば・・速読とか。)
興味のかけらもないような対象では、その影響力がより強くなってしまうのは明白でしょう。
人間の共通理解というものは、そう一筋縄で解決できるものでもないと思います。
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