3冊目:さいえんす?
タイトル通り。学校では教わらない(教われない)科学。
さいえんす? 東野 圭吾 角川書店 2005-12 |
身近なもの(ミステリー小説など)を科学的な視点から。
内容としても、科学の難しい理論を持ち出して話を進めるわけではなく、
「科学的な物の見方」を重視した立場のエッセイ、という感じ。
エッセイの短編集ですが、前半~中盤と「なるほど」と感心させられながら、
最後のちょっとした(皮肉っぽいものもある)オチで終わる、と、うまくまとまっています。
「理系離れ」とか「理科離れ」なんて言葉も結構聞きますが、
勉強だけじゃなくこういったエッセイからなじめるようにする、というのも
一つの解決策かも。
知識を教えるのも重要ですが、物の見方を教えることにも十分意義があるわけだし。
コピー問題とか、ローテク・ハイテクの話を読みながら感じたこと。
サイエンス、というより工学といった方がいいかもしれないですが、
「そもそもの目的は何か?(なぜそれを行うか?)」を考えたとき、
「必須ではないけど、あったら便利だろう」というようなものがたまにあります。
前回の「スピード整理術」でも書いてあったけど、
ある種中途半端な、「もしかしたら○○だから~」というレベルのものは抑えるべきです。
このようなものが増えると、「あれも、これも・・」と次第に膨れあがって、
無駄にゴテゴテしたものが出てくるのではないでしょうか。
例えば、個人的に一つ思っていたのは、携帯のTV機能。
果たしてあの小さな画面で見て楽しいのでしょうか。
録画とかもだいぶ簡単にできるのに、そこまでこだわる必要も無いのでは・・・・と。
人によっては、「携帯を持ってるために、いつでもどこでも縛られてしまう」と感じる人もいるようだし。
もちろん、こういった感想のレベルは人によって様々だと思うけど、
買った人、買わなかった人、両者のフィードバックをうまく取り入れ、
あまりに不要なものは排除する、といった態度をとれるようにすることが大事だと思います。
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(書評)さいえんす?
著者:東野圭吾 「理系作家」と呼ばれる著者の科学技術、テクノロジー…等などという