Web2.0的成功学 近勝彦(著)
タイトルより、サブタイトルの「複雑系の科学と最新経済学で時代を読む」というところが気になったので購入。19/200冊目。
Web2.0ビジネス
Web2.0的成功学―複雑系の科学と最新経済学で時代を読む 近 勝彦 MYCOM新書編集部 毎日コミュニケーションズ 2006-12 |
流れに乗って。
複雑系、経済学、というキーワードも気になったので購入した1冊。
全体的なテーマとしては、田坂さんの「これから何が起こるのか」と近い部分が多く、読みやすかったです。その分、ちょっと物足りなかった感もありましたが(汗)。複雑系ネットワークや複雑系経済学などの基本部分に触れられているため、その辺りのとっかかりには悪くないかな~って思います。
ネットワーク組織論の章から、1つ引用してみます。
組織においてメンバーは、自分の考えに基づくのではなく上への意向を忖度して行動する傾向があるといわれます。場の空気への同調、権威への服従。人間関係におけるそうした行動原理からは、集団がいったん間違った方向へ向かってしまった場合、それを変えるのは容易ではないことが想像できます。
ネットワークが大きくなればなるほど、避けて通れない問題になってくるのがこれです。強力なリーダー的な存在がいなくても、知らない間に少しずつグループの雰囲気が変化して、気づいたら収拾がつかないくらいになっていた、というケースもあります。「つながり」が価値を持つようになり、ネットワークを広げていこうとする動きが重要視されますが、進むべき方向が狂ってしまわないように上手く舵取りをすることも重要ですよね。
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(Web2.0的成功学窶披舶。雑系の科学と最新経済学で時代を読む / 近勝彦+MYCOM新書編集部著)
句とマップ
[tegaki]つながりと 不確実さが 生む世界[/tegaki]
編集後記
昨日はフリーWebカレッジの蒔苗代表とお話してきました。以前にこのブログで取り上げたのがきっかけとなって、お会いすることに。これも一つのつながりです。
ディスカッション
コメント一覧
こんにちは。
入門的な感じですかね。
そういうのもときには良いですよね。
こんにちは!
流れといえば、今年は、「フロー経営」です。
天外伺朗さんの「マネジメント革命」ぜひお薦めです。
淺田さんこんにちは。好きか嫌いかを常に感じながら、変化に敏感でいたいですね。個性がないとうずもれてしまいますもんね。
淺田さん、こんばんは。
この本、確か年末に買った後、自宅と職場を何度か往復しております
(読んでる本が読み終わったときのための保険で(笑))。
結局本が読み終わらなかったり、新しく読みたい本が届いたりして、
未だ読んでおりません(笑)。
うーんと・・・。
とりあえず目の前に来た新たな本から。
コメントありがとうございます!
>> こばやしさん
毎回毎回が入門編だと寂しくなりますが、たまにはいいですよね。
>> ニタさん
マネジメント革命、メモっておきます。読みたい本がどんどん増え・・(笑
>> hikaruさん
個性が発揮できないのは寂しいですよね~。・・・個性として自慢できる物を探すのも一苦労だったりしますが(汗)。
>> smoothさん
まずは新しい山から・・ですかねぇ^^;買うだけ買って未着手の本も、早く読了したいところです。
> 組織においてメンバーは、自分の考えに基づくのではなく上への意向を忖度して行動する
> 傾向があるといわれます。場の空気への同調、権威への服従。人間関係におけるそうした
> 行動原理からは、集団がいったん間違った方向へ向かってしまった場合、それを変える
> のは容易ではないことが想像できます。
「自分の考えに基づくのではなく上への意向を忖度して行動する傾向がある」
上「の意向を忖度する」なら意味が分かりますが、「上への意向を忖度する」は意味が
通じない気がしました。
無理に意味を考えてみれば、一般社員が、(部長の)社長への意向を忖度するぐらいの
意味でしょうが、無理がある気がします。
「傾向がある」とは、50%を超えると解釈できるので仮に60%と考えます。
60%の組織は「場の空気への同調、権威への服従」という「間違った方向へ向か」う
と解釈できます。本当にそうですか??
≫ おびとさん
現在、引っ越し作業で本を実家に送ってしまい、確認ができませんが…もしかすると引用の記述ミスかもしれません。
>60%の組織は「場の空気への同調、権威への服従」という「間違った方向へ向か」うと解釈できます。本当にそうですか??
「間違った」というのをどう解釈するかでも変わってくると思いますが、権威に服従し、なあなあになったり流されたりすることへの疑問、という見方で解釈しました。