10冊目:著作権とは何か

「著作物=思想、感情の創作物」を守るための権利。

4087202941 著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
福井 健策

集英社 2005-05
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たまには路線を変えて・・・著作権について。

本の構成としては、まず著作物・著作権についての概略を示した後、
事例解説を通して理解を深めていく・・・といったものです。

この事例解説が多岐にわたっていて、パロディ問題や引用問題、Winny問題など様々。

専門家のための専門書ではなく、一般人のための専門書という感じで読みやすかったです。
もちろん、これ1冊で全てが足りるわけではなく、深く突っ込むためには色々と知識は必要です。
けれど、最初のきっかけ作りには適しているのではないかと思います。

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注:今日の追記は長いです^^;

さて。今回なぜこの本を読んだか、ですが・・・大きく分けて二つあります。

「マインドマップをどこまで書いて掲載していいのか?」

「速読(多読)による記憶の曖昧さと引用・応用」

結論から言うと、
「著作権をめぐる議論も耐えず、結論づけるのが難しい部分もある」らしく、
これらもその一部だと思うので・・・しばらくは現状のままやってみようという感じですが。


とりあえず一個ずついきます。まず前者から。

マインドマップを作るに当たって、本の中から単語・フレーズを抜き出したり、
場合によっては抜き書きをメモったりしてます。

ここで問題となるのが、

どこまでマインドマップに落とし込むと「著作権侵害」とみなされるか?

という点。
著作権としては、「アイデア は流用してよい」という規定もありますが、
かといって目次を(小項目含めて)全て写したりしたら危険だと思いますし・・・。

考えると色々出てきます。
例えば、『7つの習慣(スティーブン・R.コヴィー)』という本があります。
この本から習慣を7つ、そのまま抜き出して書いたら侵害だろうか?
アイデアの流用はOKだから、それを表現変えて書けばいいのだろうか?

・・・仮に表現を変えて書けばOKとしても・・・・さらに発生する別問題。

『スピード整理術(中谷彰宏)』という本があります。サブタイトルは
『頭のいい捨て方・片づけ方60の具体例』。
60個全部書き抜いたらどうなるのでしょうか。
表現を変えて書いたとしても、こちらはかなり危ないような気がします。

「創造性を加える必要」という部分を考慮したとしても、
例えば「新しく法則を1個加えるために60書き出してみた」
・・・これはどうなのでしょう?

と、このように色々疑問点は生じてくるわけです。

まあ、「自分のアイデアに関連した部分だけ書く」ようにすればいいのでしょうが・・・
それもなんか微妙なものになりそうだし。それよりも問題なのは次です。


先ほど「速読(多読)」を引き合いに出しましたが、
書籍の中でも音楽の譜面に関連して、似たような議論が出ていました。
ここでは読書の面から、書いてみます。

自分の場合、ブログ生活を通して、ここ1年で120冊ほど読んできました。

一方、速読の一種(と言っていいのかな?)であるフォトリーディングのメーリングリストに
参加しているのですが、そちらでは数ヶ月で300冊(!)読める方もいらっしゃいます。

多く読めばそれだけ良質の情報に出会える可能性も増える、
という見方をするなら、冊数が増えるのは別に悪くないです。

ですが、その蓄積が千、一万となるころ…疑問が生じる可能性があります。

特に、「イメージとして」「すり込むように」する読み方
(いわゆる右脳読みに近いやつ)を大量に行った場合です。
普段実践してる「斉藤式」でも、プレビュー法とか「本屋での立ち読み術」辺りが該当しそう。

まあ、1000冊程度読んだとして、ちょっと考えてみてください。

面白いアイデアが偶然浮かんで、本を書くとします。

そのアイデア、今まで読んだ本の中に入ってませんか?

毎回メモしていれば大丈夫」と思うかもしれませんが、
「メモしていないけど読んでいた」部分に同じのがあるかもしれませんよ?

確かにアイデアは流用可能、別に問題ないかもしれません。では次の問は?

今まで読んだ本から、パラグラフをつなぎ合わせただけの本になってませんか?

これは・・・場合によっては、著作権侵害の危険性も出てきますね。
「抜き書きノート」みたいなのを作ってると、それこそ無意識に覚えてる可能性ありますし。

つまり、何が問題かというと・・・

「無意識に」「覚えてしまっていた」事なのか、「意識的に」「盗作した」事なのか。

この差をどうやって付けるべきか、という事です。

これ、おそらく著作権が制定された当時は「速読」のような概念が少ない・・というか、
そもそも出版物が今と比べて少なかった事もあって、別段気にされなかったのだと思います。

速読が次第に広まりつつある中では、こういった情報の扱い方について、
見直し始める必要もあるのではないでしょうか。


最後に・・・「そんな不安なら書かなきゃ(やらなきゃ)いいじゃん」という考えもあるでしょう。

でも、

それって議論の先送り・・・ただの「逃げ」じゃないですか・・・?

グレーゾーンを避ける・・・安全かもしれませんが、それは果たして刺激になるでしょうか・・・?